死を告げる鳥がやって来る話。チューズデーという少女のところに鳥が来るけど母は追い払いたいのよね。カメラワークはまあ悪くはないかなという感じ。良くもない。人対人のカメラワークはいいのよ。でもこの物語のメインである鳥対人のカメラワークがいまいち。
鳥がチューズデーのもとに来るところなんだけど、リアルな下ネタとかで人物をありきたりにしない工夫は分かるわ。でも、鳥とチューズデーが親密になる過程がいまいちなのよね。雑談して親しくなるのはいいけど、なんでこの雑談が面白いのか、それとも雑談という行為を選択した人間が初めてだったのか、この辺に説明も面白みもない。なので私はこっから話についていけなくなった、つまり没入できなかった。
鳥は巨大化から縮小まで変幻自在、よくある映画のバケモノのような加工された低い声で喋る。そんなによくないカメラワークとこの声が悪い化学反応を起こしていて、これは少女と化け物が親しくなるというありきたりな映画なんじゃないのかという心配を視聴者に予期させるわ。
鳥の色彩とも関連するけど、そういう死とかのテーマを扱っている&暗いシーンが多い割に映画の黒い色彩にこだわりを感じなかったのがマイナスポイントだわ。こういう映画は黒が綺麗に映えるべきよ。じじいの映画(グラン・トリノ、傑作判定)の色彩が綺麗だったからこれで勉強しなさいって感じ。
もうつまんないからここで終了かと思いきや、鳥が死を背負ってくることを知った母が鳥を殺して食べるのよね。ここは意外だし過激でよかったわ。そしたら母が鳥と同じく身体の巨大化・縮小するようになるのよ。完全に物語の方向性が変わったわ。
母親が鳥の運命を背負って、ここからは哲学映画になる。母がまどか☆マギカの概念と化したまどかみたいにいろんな人の死に立ち会うのよね。ただし哲学部分は、鳥とか母親が長々と喋っていて登場人物に全部しゃべらせるタイプなのが気に食わない。しかもそんなに大したセリフではないのもダメポイント。練れやセリフ!
さらに、テンポが悪い。哲学を噛み締める余韻としてゆるやかにするのは分かるんだけど、絵面がとてもこのテンポに耐えうるレベルじゃないのよね。画面の向こうから母親が走ってくるところをダラダラ映したりしてて、画面へのこだわりや作り込みが感じられない。最後はチューズデーが死を迎えて1人になった母親の元にあの鳥が様子を見にくるシーンで終了よ。
プロットだけ見たらこの映画は結構意欲的だと思うのよ。でも演出が追いついてない。哲学も半端だし、鳥の存在も恐ろしくもないし不思議でもないし半端なのよね。これは普通の映画(★★☆☆)だわねこれは。出来もちょっと悪いが、どちらかというと「残念な映画」という印象だわ。演出とセリフを練れば良作な気がする。ごきげんよう〜
↓引き合いに出されたじじい
