まあ古い映画だからなんとか見られたんだけど、かなりグロテスクだわ。食事中に見ないほうがいいわね…。血と骨とか肉片とか欠損が出てくるタイプ。
研究者が物質転送の研究を行っていたのよ。そこに記者が来て親密になっていく。研究は生物の転送へとシフトし、ヒヒが実験材料に使われる。ある日、記者が元カレのもとへ仕事で行ったら研究者が酔っ払って腹立てて変な男気を見せてポッドの中へ入っていくのよね。そのポッドの中にハエが入ってて、転送した結果ハエと融合した肉体が再構築されてしまう。
最初は調子が良さそうだがどんどんせっかちになり、記者にもポッドに入れとか言い出すようになったりしたのよ。次第に不潔になり、ハエの特徴があらわれはじめ、肉体が崩れてくる。そんな中、記者はハエ男の子供を妊娠していることが発覚する。ここでハエ男に誘拐されて研究施設で最終決戦があるのよ。物質A+B=Cを作るポッドを新たに開発して記者を放り込んで融合しようとしたのね、ところがその企みは失敗。とうとうあきらめて殺してくれと意思表示をするようになり、恋人である記者の手で泣きながらハエ男を殺して終了よ。この終わり方はとても好みだわ。
この作品鑑賞におけるポイントは、「グロテスク要素をどう受け入れるか」というところね。グロテスク映画といえばロボコップ(傑作判定)が真っ先に上がるんだけど、ザ・フライは見終わってああすごかった、良かった、みたいにはならないのよねロボコップと違って。
そう考えると、パワー配分が間違っていたということになるわ。 説得力(世界観構築)に振るべきところを、生理的嫌悪要素に振り分けたのがそもそも間違いね。たとえばアニメだと進撃の巨人って世界観構築・説得力がしっかり作り込まれたうえでグロテスクよね。映画だとロボコップがデトロイトの治安の悪さ・警察組織の腐敗のような世界観を作り込んで、その上でグロテスク要素が彩りを添えている。それに対して、ザ・フライは人間の恋愛(しかもキャラ立ってない)から盛り上げようとして研究世界観の説得性とかをつけるほうにいかなかったのよね。それが問題だわ。
そこいくと、「グロテスクとは、世界観を盛り上げる彩り」という説が浮かび上がってくるわ。ザ・フライは世界観もそうだけどカメラワークとかが盛り上がっていないし、恐怖演出そのものをグロテスクが担っているからイマイチだったと思うのよ。グロテスク要素はあくまでアクセントとなるべきであって、ベースの作りが甘いのにグロテスクだとただの不快な映画になるわね。仮にグロテスクをメインにするなら相当な覚悟が必要よ。
この映画自体は上記の観点からまあ普通の映画(★★☆☆)と思うんだけど、あらためてグロテスク感に向き合うきっかけをつくった貴重な映画だと言えるわ。ごきげんよう~
