10/16から大慌てで読書した結果、15冊くらいを読めた。なので、今日は書評の副産物みたいなコンテンツ。書評が2000文字とかになってしまうので割愛したことや、複数の本に書いてあったことについて等を書いていく。15冊読んだ時点で考えたことは次の3つについて。
・没頭できることを見つける意義
・InstagramとYoutubeはレッドオーシャンであるほどよい
・逆算型と積み上げ型というが、逆算が難しくないか?
今回は、1つ目の「没頭できるものを見つける意義」について。「自分が寝食を忘れて(お金を貰えなくても)やるような好きなことを見つけよう」など、多くの本で言われていることだ。没頭できるものを見つけることには次の3つの意義があるなと感じている。
長期的な目標設定の助けになる
これについては、人は仕事なり生活するにおいて「やりたくないこと」がどうしてもあるが、「好きなこれをやるためにやっている」となると、必要なプロセスとして捉えられるので辛いことが楽になる。私の場合、目的がはっきりしている仕事は指摘と感情を分離できるが、目的がよくわからん仕事はそれができない。目的意識にメンタル面も依存するし。。
競争力が発揮できる
Bについては、好きなことのほうが調べるコストや発信のハードルが下がるので誰もが納得のところ。その分野で人がやっていないところ等も見つけやすい。特にこれを感じたのは次の本を読んでいるとき。
たとえ芽が出なくても継続できる
Cについては、だいたいあらゆることの芽が出るのにはタイムラグがあるので、芽が出るまで継続できるということだ。自分の「できたことノート」を見返すと、新しいことを継続するとだいたい四半期後を目安になにかの形になって帰ってくる事が多い。最低でも3ヶ月は継続できないと形にならないということだ。何年後にこれが関係者の目に届く、というタイムラグを計算に入れていたのはこの本とか。
好きなことは芽が出なくても継続できるので、この四半期の壁を破れる可能性が高い。この書評などHPのコンテンツも、誰に言われるでもなくやっていることをブログ向けに編集してなんだかんだ出している。継続していれば注目されるとは限らないが、注目されるときにコンスタントなコンテンツの更新があることは大前提。これが「注目されるため」だと辛くなるしストレスになる。
私が金をもらえなくても自然にやっていることといえば、この書評と、いろいろなものをパンツに例える話とか、コロコロコミックを読むとか簿記にキレるとかである。これらをブログに書く前は、毎日のように家族に話して聞かせていた。つまり、実家のメンバーは私が読んだ本の感想や簿記への怒りやコロコロコミックの魅力をジャイアンリサイタルのように聞かされていたのだ。せっかく熱を持って語っているのだからブログにしてみたらと提案を受け、最近の毎日の更新ができるようになったのだ。没頭できるものを持つことで、アウトプットも充実してくる(質はともかく…)。ごきげんよう~